そっとしておいて

世間では連休ですね。

私の勤める会社は事務所はお休みですが現場の社員はお仕事です。

こんな感じで休んでる人がいる中、お仕事の人も世間にはいますよね。

お疲れさまです。

って私も片づけないといけない仕事が少しあって、2日ほど短時間ですが出勤なので今は事務所でこのブログを書いています。

 

このところ役者さんの自死が続きましたよね。

そんなニュースが流れるたび、私も自身に起きたことを思い出します。

亡くなられたご本人の苦悩はもちろん、遺族・発見した方、周りの方々が言葉では説明できない気持ちを抱えて苦しんでいると思うと他人事とは思えない。

 

遺族は想像できないくらい傷つきます。

自問自答し、自分をこれでもかと責め続けます。

にも拘わらず、周りからも責められます。

有名な方の場合はマスコミ、ネット等からも責められるわけで。

 

亡くなった理由、そんなに知りたいですかね。

納得いかないとか書き込まれてるのを見ると心が痛みます。

理由がわかっても納得なんてできないですよ。

 

私も納得できなてないです。6年近く経っても。

間違っているとは思うけど、大切な夫の選択だし

それに亡くなってしまっているから尊重するしかないわけですけど。

 

理由がわっても、納得しても

亡くなった人は戻って来ないのだから

安心して眠れるように、そっとしておいてあげてほしいなと思ってしまいます。

 

ごめんなさい、死因関係なく遺族は傷ついてますよね。

今回は自死遺族として書かせていただきました。

 

1人ぼっちの連休にも負けないぞー(笑)

さて、お仕事終わったので帰ります。

 

 

 

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コメント: 6
  • #1

    ひまわり (月曜日, 21 9月 2020 15:50)

    伊藤さん、お仕事お疲れ様でした。
    私は4連休、特に予定もなくダラダラと過ごしていますが、こういう連休は毎回、自分の時間の使い方に自己嫌悪感が募ってしまいます。

    土曜日に携帯を機種変更し、今日フォトが移行できているかを確かめました。

    実は主人の写真を見ることをずっと避けてきました。
    でも、今日は一枚一枚、目を背けずに見ることができました。
    これも時間が経ったってことかもしれませんね。

    ただ、最後の旅行の写真はやはり辛かった。
    この写真を撮った日から一ヶ月後にはもういない、なんて、ほんとに想像もできなかった。主人自身もきっと。

    悲劇一色にしないよう、思い出し方もコントロールしてきたつもりですが、まともに向き合ってしまうとまだダメですね。

    どういう亡くなり方をしても、残されたものはつい考えてしまいます、避けられなかったのか、って。
    戻ってこないから仕方ないんだけど、こういうふうに今さら仕方ないことを思う事も供養の一つになるでしょうか…

  • #2

    川中 (月曜日, 21 9月 2020 17:34)

    伊藤さんお仕事おつかれさまです。
    私の場合は妻を癌で亡くした訳ですがそれでも後悔と自責の日々です。
    「なんで気づかなかった。」「もっと一緒になって考えてあげてたら体調の変化に気づいたかも知れんのに…」
    「あ…こんなんじゃあかん。安心してくれへん」

    毎日考え、気を取り直し…を繰り返します。突然失った伊藤さんより恵まれてるのかもしれませんね。
    でも亡くした存在の大きさには変わり無く、連休はやはり思い知らされる時間が増えます。一人の寂しさを。
    息子、娘が居てくれることをもっと深く感謝できるようになれないと、妻にも申し訳ないな…と思いつつ、つい小言じみたことを言ってる。
    そんなお父さんと一緒に居てくれてありがとう…な日々です。
    頑張って生きなきゃ(笑)

  • #3

    はせがわ (月曜日, 21 9月 2020 21:36)

    いとーちゃんお疲れ様です。

    「そっとしておいてほしい」ですよね。
    他人にあれこれ憶測されてあれこれ言われるなんて苦しんで苦しんで死を選ぶしかなかった彼らが安らかに眠れないです。
    現実をありのまま抱きしめるしかない遺族の悲しみ苦しみは想像を絶すると思います。

    それでも、前を向き生きてるいとーちゃんは偉いです!

    連休は私も嫌いです。本当にひとりぼっちを実感するから。
    両親も子供もいない私にはやはりキツいけどめげずに生きて行くぞ!
    お互い自分を大切に癒しながら頑張りましょうね。

  • #4

    副世話人いとう (月曜日, 05 10月 2020 17:43)

    ひまわりさん
    お返事が遅くなり申し訳ありません。

    時間が経つとできるようになることってありますよね。
    私の日常だと一緒に行ったお店に行ったときに泣かなくなったこと。
    スーパーやホームセンター、家具屋さんなどなど。
    亡くして間もないときは辛くて近寄れなかったけど、今は思い出すことはあっても平気になりました。
    時間が経ったのと、やっぱり生きていかなくちゃならないからでしょうかね。

    私がアルシエロに参加して「ああ、そうなんだ」と思ったことの1つに
    突然亡くしても看病後に亡くしても悔いは残るもの。
    だから死因関係なく遺された人の気持ちは共感できるんだと。

    前に映画で、思い出す人がいなくなったとき本当にこの世からいなくなるっていう内容のものがあって、なるほどなと思いました。
    思い出すことは供養になると思います!

  • #5

    副世話人いとう (月曜日, 05 10月 2020 17:57)

    川中さん
    お返事が遅くなり申し訳ありません。

    本当に後悔と自責の毎日です。
    でも考えても戻ってこないですものね。
    わかってても考えてしまう。
    これの繰り返し...私も未だにそんな感じです。

    でもやっぱり大切な人には心配かけたくないから良い方向へ考える。
    この気持ちが私にはいちばんの支えになっています。

    なくしてしまったことはとても大きなこと。
    そのことにばかり目を向けてたら辛いだけ。
    小さなことかもしれないけど目の前に残っているものがある。
    それに気づいて大切にする。
    傍から見たら自己満足だけどそれでいいやって思います。

    >そんなお父さんと一緒に居てくれてありがとう…な日々です。
    お子さんたちに伝わってると思いますよ^^

  • #6

    副世話人いとう (月曜日, 05 10月 2020 18:09)

    はせがわさん
    お返事が遅くなり申し訳ありません。

    そうなんです。
    何にも知らない人にあれこれ言われたくないですよね。
    私の場合、遺書がなかったので今でも夫の気持ちはわからないまま。
    それしか思いつかなかった。
    それが最善な行動と思ったんだなと尊重するしかない。
    1人で逝かせてしまって辛いやら苦しいやら
    まったくもぉぉぉぉぉ!って腹も立つし
    納得できなくても認めるしかないわけで。
    もうね、ぐっちゃぐちゃの心境でした。
    いや、今もたまにそんな気持ちになったりもします。

    そんな気持ちを抱えてながらだけど
    生きていくしかないですものね。
    開き直って頑張りましょうね^^;